ここで毒抜きさせて、

残酷な思いを吐き出す場所

私の婚活⑦ 最終回

 

私の勤めている会社は、

 

年功序列が全くなく、

 

上司から評価されて等級を上げ、役職に就かなければ全く給料が増えない。

 

当時、私は勤続7年で等級も低く、残業もほぼなかった。

 

年収は350万。

 

月に22万、賞与が年2回で80万強。

 

彼女と交際してから1年。

 

私は異動で、都市部の店舗に戻ることになった。

 

当時彼女は23歳で社会人1年目、

 

私は彼女に一緒に来てほしいと伝え、

 

彼女はそれを承諾した。

 

彼女の勤める会社の小売店は県内に何百もあり、彼女も都市部の店舗へ異動させてもらえることになった。

 

彼女の両親へ会いに行った。

一年後の結婚を目標に同棲させてほしいとお願いした。

快くとはほど遠かったが、何とか許可を得ることが出来た。

 

その際に両親からは、

「食べていけるのか?」

「お金が足りなくなれば、夜に工事現場で旗を振ってでもお金をつくる覚悟はあるか?」

 

などと言われ、私は、

「頑張ります。」

としか言えなかった。

 

結婚して、家庭を築くということは、

「お金が必要」

ということは知っていた。

大学卒業からずっと賃貸で暮らしてきて、

常に誰かと同棲していたが、

家賃、生活費は全て自分が払っていた。

それでも必死で貯めた800万の貯金があった。

家賃3万円のオンボロアパートに住んでた時もあった。

 

しかし、

婚活において、

重要視されるのは、

貯金額ではなく、

現在の収入と、将来の予定収入。

 

彼女の父親は財閥企業のエンジニア、

私のことが底辺労働者に見えても仕方がない。

 

彼女の収入をあてにしていることが見抜かれていて、

女性は出産を機に虚弱体質になって働けなることがあるから、男の収入だけで生活できなきゃダメだと彼女のお母さんからはっきりと言われた。

 

彼女は大学を卒業したばかりの社会人1年目、

若さ故に、俗に言う「3高」などの意識もなく、

付き合った彼氏が8歳も年上だから、結婚するのも自然な流れかな、ぐらいの感じであった。

結婚した後、彼女に、

「あの時、なぜ、結婚前提に同棲してもいいって思えたの?」

と聞くと、

「え、ノリだよ。実家出たかったし。」

と答えた。

 

正直、言い方は悪いが、

私が彼女と結婚できたのは、

彼女がまだ世間知らずで、

思考が浅はかな人間であったからだ。

 

 

 

私達は新居で暮らし始めた。

 

私が収入を上げる方法に、2つの選択肢があった。

・転職

・出世

 

私は自分の仕事が好きだった。

自分の1番の趣味を仕事にして、

それでご飯を食べていたが、

それで家庭を養えたら最高だと思った。

 

だから後者を選んだ、しかし時間がなかった。

 

私は1年間、

自分の勤務する店舗の業績を上げることだけに注力して生きた。

残業を申請せずに、毎日13時間働いた。

必死だった。

その年、その店が出来て10年目で過去最高の売上、利益を出した。

その成果は私の創ったものだと周りから認識され、

私は上司から「満点」の評価を得た。

そして管理職の昇格試験を受けた。

受験者30人で合格者は1人だった。

私がその1人だった。

 

そして私の年収は550万となった。

1年で200万のアップだった。

会社の完全成果主義に感謝した。

 

管理職になっても年収550万スタート、

上場企業では考えられない程に低い、

 

しかし、この会社で年収500万を超えるには、

管理職になるしかなかった。

 

しかし、私にとって、500万は1つの区切りであり、

配偶者の収入がなくても嫁1人、子1人を養える最低ラインであった。

 

 

そして同棲1年後に私は彼女にプロポーズをし、

彼女はそれを受け、

私達は結婚の報告の為、

彼女の両親に会いに行った。

 

 

しかし、待っていた言葉は、

「後1年、同棲してなさい。」

だった。

 

もちろん収入が上がったことも伝えた、

 

しかし、娘はまだ大学を卒業したばかり、

私はまだそれに釣り合う評価は得られていなかった。

彼女がアラサーだったら話は違うんだろうなと思った。

 

1年前、私達が結婚を前提に同棲したいと挨拶に来た、

無理に反対すると余計に恋仲が燃え上がると判断し、

子供だけはつくるなと釘を刺し認めた、

娘は若気の至りだったとすぐに帰ってくると思っていたが、

想定外にも、結婚してしまいような様相。

 

そこで、出たのが、後1年先延ばしである。

後、1年で別れる可能性にかけたのであった。

 

私達はそれに従った。

 

 その後、私達は毎日楽しく生活し、互いに仕事をがんばり、

1年はあっという間に過ぎた。

私と彼女は、互いを好きでい続けた。

2人でいろんな所へ旅行へ行った。思い出をいっぱい創った。

絆は強固になっていた。

 

 

そして私達は再度、彼女の両親の元へ向かった。

「結婚の報告」ではない。

プロポーズは1年前に済んでいた。

「結婚させてもらえるかのお伺い」

であった。

 

 彼女のお母さんはやはり認めてはくれなかった。

「あなた達、何を焦っているの?」

「太郎さん、あなたまだ30代なんだから、この子と別れてもまだイイ人に出会えるわよ?」

と言われた。

 

 

私は、しばらく沈黙し、ジワジワと苛立ってしまった。

その苛立ちは、私の息遣い、表情から、

そこにいる全員がそれに気付いただろう。

 

 

 

 

 

「もういい、お前は黙っていろ。」

 

 

 

 

 

と語気を荒げたのはお父さんだった。

 

 

 

「太郎君、あなた達の好きな様にしなさい。」

 

 

 

と加えて、その後、何も言葉を続けなかった。

 

 

「これが、主の意見です。」

 

 

と、お母さんは言い、黙ってしまった。

 

 

 

 

 

私達はその日、同棲しているアパートに帰り、

「結婚の許可、もらえたんだよね?」

「ん?もらえたんじゃない?」

「渋々も渋々だったよね?」

「いいって言ってたんだからいいじゃん。」

「あれはマズイよ、お母さん、俺に遠回しに別れて欲しいって言ってなかった?」

「もーじゃあどうすんのよ!」

 

 

私達は、その日から彼女の実家に、度々足を運び、

 

親睦を深めた。

 

そして、

結婚の許可を得た1年後、

私が34歳になる少し前に、

私達は結婚した。

 

1年後に結婚すると言って同棲をはじめて、

3年後に結婚となった。

 

 

 

結婚に至るまでを振り返ってみて、

 

手に入れるまでに、苦労、努力を多く味わった方が、

 

手に入れた後、大事にするし、投資もする。

 

 

 

投資というのは、

 

結婚式と、結婚指輪、新婚旅行で650万使ってしまったことである。